映画日記

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荒城の月

11月の中頃、私は雨の中、九州のとある小さな城下町、竹田市を訪れていました。
そこは、今から120年も前である、明治23年。
とある少年が、この町でまだ日本に入ってきて間もない西洋の音楽に夢中になっていた場所です。
 
歴史小説家である、司馬遼太郎の「明治という国家」という本の一説にこんなお話があります。
日本が海外に目を向けて、まだ間もない頃。
日本から遠く離れた、ドイツのライプチヒという町の中の小さな下宿に、当時ではまだめずらしい、一人の日本人留学生がいました。
そこの下宿の老婆が、留学生である彼に、音楽を勉強しているのなら、何か一曲弾いてくれと頼み、そこで彼は、ドイツ人の老婆一人だけの前で、自分の曲である「荒城の月」を演奏したと言われています。日本という国の事を何もしらない老婆は、そんな彼の演奏を聞いて、感動し、涙を流したそうです。
当時の留学というと、国を背負ってでの任務でもあったでしょう。しかも入学して2ヶ月で病気になり、日本に帰国せねばならなくなってしまう20歳そこそこの少年は、一体何を思いながら一人の老婆を前に、この曲を演奏したのでしょうか。
 
今から10年程前、私は友人達と一緒に旅行でバリ島に、滞在した事があります。
その時、現地を案内して下さった方のおうちの夕食に招かれました。
そして素敵なお部屋に案内されると、そこにアップライトのピアノが一台置かれていました。
お話しているうちに、私達が、今音楽を勉強しているという話になり、それならば何か弾いてくれという。何を弾こうかと、友人と相談していたら、その家のおばあさんが、突然、日本の童謡を歌いだしました。
日本語を何も知らない、バリ人のおばあさんが、いきなり日本語で童謡を歌いだしたので、私達はびっくりしました。
  
何故そんなに沢山の日本の曲を知っているのかと訊ねると、まだ少女だった頃、日本の歌を覚えた、とのこと。
その中で、偶然にもあの「荒城の月」を弾いてくれと言われ、友人と連弾する事に。
おばあさんは目を細めながらなつかしそうに、一緒に歌い、喜んでくれました。
彼女が、何故こんなに沢山の日本の歌を知っていたのか、本当の事は今だに、分かりません。
もしかしたら、第2次世界大戦の時、日本兵がここに滞在していたのか、それとも彼女が小さい頃に、日本人学校に通っていたのか…。
一つのメロディーが人々の心に長く、とどまるという事。
そして、遠く離れた小さな島で、今もなお、荒城の月が歌われている事に、とても感動したのを覚えています。
 
小学生の時に授業で聞いた、荒城の月。バリ島で弾いた荒城の月。そして偶然知った瀧廉太郎のエピソード。そして、竹田の町のたたずまい。小さな点が集まって、少しずつつながったように思います。
 
 
 

ちなみに、余談ではありますが、ニュースキャスターであられた筑紫哲也さんは、瀧廉太郎の妹のお孫さんに当たるそうです。